第4章 地球の生き物(1)
1. 生命起源の五大仮説とは?
2. 私たちの先祖はバクテリアだった!
3. 進化のビッグバンって何?
4. 海の魚は大昔、淡水にいたことがある?!
5. 地球がもっとも神秘的であった時代とは?
6. 生物の九〇%以上が絶滅したときがあった!
7. クジラは大昔、陸で生活していた!
8. 最初のヒト・・・それはルーシー?
9. いや、最初のヒトはイブである!
10.原人は猿人を食べて育った!
1.生命起源の五大仮説とは?
生命起源に関する有力な仮説は今のところ五つある。それをざっと紹介しよう。
1.細胞様高分子説
原始大気中に含まれる二酸化硫黄が海水に溶け込み、硫化水素に変化する。海水中の炭酸やアンモニアなどがこの硫化水素に出会うと、コロイド状のアミノ酸物質*1を形成する。この物質が原始的な代謝を行ない、さらに、自己複製能力をもつ分子を同居させて、生命体となった。
2.熱水噴出孔説
高圧の深海底には数百度の熱水を噴き出す熱水噴出孔がある。この周辺にはメタン、水素、アンモニア、硫化水素などの物質が多く存在し、これらがまずアミノ酸を形成する。このアミノ酸が海底にしみ込み、再び熱水となって噴き出す過程で熱エネルギーを得、このエネルギーを使って自己複製能力のある原始細胞へと進化した。
3.宇宙線起因説
創成期の原始地球には遊離した酸素がなかったのでオゾン層がなかった。無防備の地球には高エネルギーの宇宙線が情け容赦なく降りそそぎ、そのエネルギーにさらされた原始大気中の一酸化炭素、窒素、水蒸気は化学反応を起こして、アミノ酸などの有機化合物を形成した。この中には酵素や核酸の材料となる物質も含まれており、これらが海中に蓄積されて生命体へと進化した。ただし、宇宙線でなくても、原始地球の雷のエネルギーでも、同様な反応が起こるとする説もある。
4.彗星由来説
彗星はおもに水、一酸化炭素、二酸化炭素などの氷でできているが、そのほかに、青酸やホルムアルデヒドなどの有機分子も含まれているらしい。これらの物質は、彗星が太陽に近づくと熱せられてさまざまな有機化合物となる。このような彗星が地球に衝突するとクレーターができ、そこに雨水が溜まって池が形成される(彗星池)。彗星に含まれていた有機化合物はこの池に溶け込み、生命体へと進化していった。
5.善玉ウイルス寄生説*2
RNAの材料となる核酸物質とある種の酵素さえあれば、RNAが自然生成されて自己増殖が始まり、さらに変異が起こって進化するという実験事実に基づく理論。このRNAはまだ原始的なウイルスでしかないが、アミノ酸などの有機物に寄生することによって有機物に自己複製能力を与え、さらに代謝に必要な酵素をもつくらせて、宿主の有機物を生命体へと進化させた。
あなたは、どの説がお気に入りだろうか。
*1 アミノ酸はタンパク質の主要構成物質。
*2 この説は、他の生命起源説の共通の弱点である自己複製や代謝機能など、生命の根元をなす働きの起源を説明している点で興味深い。
2.私たちの先祖はバクテリアだった!
バクテリアとは細菌のことだ。微生物ともいう。病原性の細菌はバイ菌と呼んでいる。遺伝子をおさめる核をもたない原核生物で、もちろん単細胞生物である。ちなみに、ガンやエイズなどで今おさわがせのウイルスは、タンパク質のカプセルにくるまれた遺伝情報物質といったもので、生き物とはいえない。他の生物の細胞に寄生して、自分の遺伝情報にしたがって自己増殖してしまうチャッカリ者だ。
さて、地球に生命が誕生してから約四〇億年とされるが、私たちの先祖は何と、その半分以上の年月を海中のバクテリアとして過ごした。
これらのバクテリアの二〇余億年の進化の歴史の最初のエポックは、三五億年前頃に訪れた。光合成の能力を獲得したバクテリアたちが登場したのだ。光合成とは、外部の水、二酸化炭素、太陽エネルギーを使い、自らに必要な栄養分を自らの体内で合成する能力である。有害な太陽の紫外線を味方につけてしまったわけだ。そして栄養分をエネルギーに変えるために、発酵などの無酸素呼吸を行なった。ラン藻類の祖先と考えてよいだろう。
この当時のバクテリアによる光合成により、地上にはじめて遊離した酸素が出現した。ところが、初期の生命体は酸素に対する抗性をもたなかったために、酸化によって自身の体が分解される危機にさらされてしまった。しかしうまいことに、太古の海には鉄イオンが大量に溶けていたので、酸素の多くは鉄イオンと化合して酸化鉄をつくった。このため、太古の海は真っ赤に染まったが、バクテリアたちは何とか生きのびた。現在の鉄需要の大半をまかなっている鉄は、この当時の赤い酸化鉄なのである。
こうして一〇億年以上がすぎ、二三億年前頃になると、酸素の毒性を消す酵素が出現し、この酵素をとり込んだバクテリアも現われた。その中には、他のバクテリアを補食し、それを分解してエネルギーに変えるべく自ら酸素をとり込むものまで登場した。酸素呼吸を始めたわけである*。
進化のスピードは上がり、一八億年前頃になると、酸素から遺伝子を保護するための核膜をもった真核細胞が出現する。真核細胞はもはやバクテリアではない。そして一〇億年前頃には、光合成だけを行なう真核細胞と、酸素呼吸だけを行なう真核細胞、すなわち植物と動物との分化が始まった。そして八億年前頃には有性生殖をするものが現われる。やっと生き物らしい生き物が登場するわけである。
* これによって、光合成バクテリアは大きく進化した。それまでは単なる排出物でしかなかった酸素(酸素によるエネルギー代謝はきわめて効率がよい)を、積極的にエネルギー代謝に使うようになったからである。余った酸素は排出した。
3.進化のビッグバンって何?
原始の海に初めて誕生した真核生物は、八億年前頃にオスとメスに分離し(性の分離)、有性生殖を行うようになった。
有性生殖とは、二つの細胞が共同して新たな細胞を生み出す行為だが、これは複数の細胞どうしが互いに相手を利用しあって、より生存に適した生物へと進化していくきっかけとなった。彼らはやがて、お互いにくっつき合って塊となった。このとき、塊の表面にある細胞は、まわりから物質をとり込んだり、吐き出すことだけをすればよく、内側にある細胞は、表面の細胞から送られてくる物質を消化することだけに集中すればよかった。こうして複数の細胞からなる一つの生命体、すなわち多細胞生物が登場した。多細胞生物を形成する個々の細胞は、機能分化によってより高度な能力を獲得していった。そして六億年前頃には、肉眼でもどうにか見える程度の大きさにまでなり、他の多細胞生物を補食するものも出てきた。
この六億年前あたりを境として、それ以前を先カンブリア時代、それ以後の一億年あまりをカンブリア紀*と呼ぶ。
カンブリア紀というのは、生物の進化が爆発的な勢いで進んだ時代だ。いきなりおびただしい種類の生物が一挙に登場した。カンブリア大爆発(ビッグバン)と呼んでいる。現在の地球上で見られる動物のすべての基本種が、現在は死に絶えたものまで含めて、わずか数百万年という“一瞬”の間に出現したという。カナディアン・ロッキーのバージェス山に産する頁岩(けつがん)にその痕跡が発見され、大きな話題を呼んだ。化石の復元図はTVでも放映されたので、ご覧になった方もあるだろう。何とも珍奇な造形の生物群ではあった。それらの生物群が絶滅したのか、それとも別の種に進化したのかは今のところ不明である。
カンブリア紀にこれほどの種が登場したのは、肉食生物の出現にあるという。肉食生物たちが、弱肉強食の修羅場を生き抜くために、体の基本的なデザインをすべて試したのである。
この過酷なカンブリア紀を生きのび、その後も二億年近く栄えた生物に三葉虫がいる。化石もとびぬけて多い。文句なしに当時の海の王者であった。しかし、この三葉虫以上に重要なのは、カンブリア紀に登場した魚類である。とくに硬骨魚という仲間だ。大きさは数cmから五〇cmくらいで、不ぞろいなひれをもち、体がよろいのような甲羅で覆われた奇妙な魚である。天敵のウミサソリから身をまもるための甲羅であったらしい。カンブリア紀後期になると、この甲羅がある種の魚の頭に入り込んで骨となり、つづいて体の大黒柱となって脊椎に進化した。最初の脊椎動物の出現である。
* 地質時代(とくに古い時代)の区切りの絶対年代は人によってまちまちだから、あまり気にしないほうがよい。
4.海の魚は大昔、淡水にいたことがある?!
生物進化のキーワードは酸素である。この酸素は、原始バクテリア(ラン藻類の祖先)の光合成によって生み出された。最初のうちは、海中の鉄イオンと化合してしまい、大気中にはあまり出ていかなかったが、海中の鉄イオンが減っていくにしたがって大気中に進出していった。
海中のバクテリアと海中植物の光合成により、大気中の酸素はどんどん増えていった。そして四億年前頃になると、上空を漂う酸素の一部がオゾンに変わり、地球を覆うオゾン層をつくりあげた。
それまでの生物は、地球に降りそそぐ有害な宇宙線や太陽の紫外線をさけて海中に住んでいた。ところが今や、海水に代わって天空のオゾン層が、その有害なエネルギーを遮断してくれるようになった(第1章の19参照)。生物は今や、海だけでなく陸地をも、自身の生存圏として手に入れたのである。
最初に陸上に進出したのは植物だった。光合成に有利な水面付近に生活域を広げていた植物の一群が、陸上に居を移したのである。胞子によって増えるコケやシダの先祖のようなものであったろう。一方、動物のほうは、ダニ、ヤスデ、クモなどの祖先が、植物に次いで上陸を果たした。これらは節足動物の一種で、あの三葉虫もそうである。
また、魚類が大挙して淡水に移動した。オゾン層のおかげで浅瀬を泳いでも平気になったため、河川をさかのぼって、湖沼に移動したのである。魚にとっても塩分の濃い海水よりは、淡水のほうが過ごしやすいのだ*。
ところが当時の気候は変動が激しく、雨期と乾期が交代で訪れた。乾期になると河川や湖沼の水が減り、水温が上がる。このため酸素が不足して、魚たちはピンチにおちいった。毎日水面で口をパクパクさせながら乾期を過ごす。これが長くつづくうちに、魚たちの食道の一部が袋のように成長し、そこに酸素を蓄えられるようになった。原始的な肺ができたのである。中には肺魚のように、適応能力をいっそう高めて、乾期をものともせずに過ごすものまで現われた。
魚たちは、肺ができて多少はラクになったとはいえ、呼吸は相変わらず不自由なままだった。そのため大部分の魚たちは、先祖のふるさとである海へと戻っていった。原始的な肺は、浮力調整器官としての浮き袋へと役目を転じた。また、産卵だけを河川で行ない、常時は海で暮らす魚もいた。その名残を今にとどめている魚が、ご存知のサケである。
* デボン紀(次項参照)の初期の魚類化石の記録は主として淡水産のものである。
※イラストは豊橋市自然史博物館ホームページ(http://www.tcp-net.ad.jp/tzb/tmnh/index.html)の「展示紹介」より引用
5.地球がもっとも神秘的であった時代とは?
生物の陸地への進出、魚の湖沼への移動と海への回帰などが行なわれた地質年代をデボン紀という。魚が活躍したので、魚の時代と呼ばれる。四億年前頃から三億六〇〇〇万年前頃までだ。
魚たちが海に戻ったいきさつについては前項でお話したが、ここに海へは戻らず、湖沼にふみとどまって独自の進化をとげた魚がいる。肺魚の仲間で、骨と筋肉でできたたくましいひれをもっていた*。乾期になって水中が酸欠状態になると、この魚は強力なひれを使って陸にはいあがり、大気に含まれる豊富な酸素を吸った。エサはもちろん水中で補食した。デボン紀の末頃になると、この魚の胸びれは前足に、腹びれは後足に進化した。四本の足をもつ初めての脊椎動物、両生類の登場だ。
デボン紀の次の地質年代を石炭紀という。二億九〇〇〇万年前頃までの約五〇〇〇万年間だ。名前が示すように、この時代の地層には石炭層が多い。石炭のもとになったのは、巨大化して大木となったシダ類だ。やがてイチョウ、ソテツなどの最初の種子植物も登場して、大地はうっそうたる大森林に覆われた。また、大森林を飛び回るたくさんの昆虫も現われた。すべて羽のある仲間だ。広げた羽が七〇cmもある巨大なトンボのような虫が、ブンブンと飛び回っていた。ゴキブリも登場した。
私たちの先祖の両生類はというと、すっかり地上の生活にも慣れて、昆虫を補食するほどにもなっていた。そして石炭紀の後半には、羊水にまもられた“卵”を発明して陸地でそれを産みつけ、生殖も陸上で行なう仲間が現われた。水へは帰らず、一生を陸で過ごす初めての四足動物、爬虫類だ。
中空では巨大なトンボが飛び回り、奇妙な両生類や爬虫類が地上を徘徊する。海ではよろいに覆われたぶかっこうな魚類や三葉虫が泳いでいる。そして、大地はどこまでも緑、海は青。静まり返ったうちにも生命にあふれていた石炭紀は、地球がもっとも神秘的で平和であった時代といえよう。
石炭紀の次の地質年代はペルム紀(二畳紀)だ。二億五〇〇〇万年前頃までの約四〇〇〇万年間である。超大陸パンゲアが形成されつつあった頃だ。陸地が広がったために乾燥気候が広がり、シダ植物は衰えてイチョウやソテツなどの裸子植物が繁栄した。また爬虫類が大発展をとげ、中には卵生でありながら哺乳を行なう原始的な哺乳類へ進化するものもいた。
* 扇鰭(せんき)類の魚。これの仲間がシーラカンスで、シーラカンスと扇鰭類を合わせて総鰭(そうき)類という。また、総鰭類と肺魚を合わせて肉鰭(にくき)類という。ここでは、扇鰭類が両生類に進化していくといっているが、実は肺魚であったとする説もある。
※イラストは豊橋市自然史博物館ホームページ(http://www.tcp-net.ad.jp/tzb/tmnh/index.html)の「展示紹介」より引用
6.生物の九〇%以上が絶滅したときがあった!
ペルム紀末の二億五〇〇〇万年前頃、生物は大量絶滅する。実に生物の九〇%以上が滅んだ。そして新たな科や種がこのあとに登場する。そこで、この二億五〇〇〇万年前を境に、それ以前を古生代、以後の約一億八〇〇〇万年間を中生代という。
それにしても、ペルム紀末の大量絶滅はすさまじい。三億年間も生き抜いたあの三葉虫も死に絶えた。恐竜などが全滅した中生代と新生代の境(六五〇〇万年前)でも、これにくらべれば滅んだ科の数は半分にすぎない。何がこの大量絶滅をもたらしたかはいまだに謎だ。
中生代(二億五〇〇〇万〜六五〇〇万年前)は恐竜の世紀である。実に一億八〇〇〇万年間にもわたって大発展をとげ、陸の王者として君臨した。また海においては、三葉虫に代わってアンモナイトが大いに栄え、サンゴ礁も発達した(イラストはジュラ紀の海)。
一方、爬虫類から哺乳類に進化した私たちの先祖は、まだ爬虫類の面影・生態を残した一種独特な風貌をもつ、オオカミやネコくらいの大きさの動物に進化していた。これが三畳紀(二億五〇〇〇万〜二億一〇〇〇万年前)のことで、次のジュラ紀(二億一〇〇〇万〜一億四〇〇〇万年前)には胎生の汎獣類が現われ、これが次の白亜紀(一億四〇〇〇万〜六五〇〇万年前)の後期に真獣類と有袋類に分化した。この真獣類は現在の大部分の哺乳類の祖先であり、有袋類はオーストラリア大陸に今でも棲息するカンガルーやコアラなどの祖先である。
有袋類は南米にもいるが、これらの動物がオーストラリアと南米だけに生き残ったのは、この両大陸には肉食性の真獣類が現われず、また、他の大陸とは孤立した島大陸であったがゆえに、肉食性真獣類の侵入も受けなかったせいである。
ジュラ紀と白亜紀の哺乳類は全体としてはネズミほどの大きさだった。昼間は恐竜やその他の爬虫類がのさばっていたので、もっぱら夜に活動した。ミミズや昆虫などを補食する食虫性の動物だったが、白亜紀の中期に顕花(被子)植物が現われて、これに集まる昆虫が繁栄したために食生活が急速に豊かになり、進化が加速した。
中生代でもう一つ忘れてならないのが、ジュラ紀の後半に登場した始祖鳥である。また、翼のような前脚をもち、骨格はダチョウに似た恐竜や、全身が羽毛で覆われた小型の肉食恐竜など、鳥みたいな恐竜もいたらしい。
※イラストは豊橋市自然史博物館ホームページ(http://www.tcp-net.ad.jp/tzb/tmnh/index.html)の「展示紹介」より引用
7.クジラは大昔、陸で生活していた!
恐竜と他の多くの生物が絶滅した6500万年前から今日までを新生代と呼ぶ。中生代は爬虫類の時代だったが、新生代は哺乳類の時代だ。もちろん、ヒトも登場する。ヒトについては次項以降でゆっくり物語るとして、ここでは哺乳類全般の進化のあらましについてお話しよう。
中生代後期の白亜紀に登場した哺乳類である真獣類と有袋類は、はじめの頃は両方ともほぼ同じように分布していた。しかし、胎児がより発育してから産まれる真獣類のほうが有袋類よりも有利であることが原因で、有袋類はしだいに分布をせばめ、三七〇〇万年前頃にはオーストラリアと南米をのぞいて地上からは姿を消した。
真獣類のほうは原真獣類と顆節類とに分化し、白亜紀の末頃にはすでに地上へ現われている。原真獣類は食虫性の小型哺乳類のグループで、これからハリネズミやモグラなどの食虫類、イヌ、ネコ、トラ、キツネなどの食肉類、コウモリなどの翼手類、ネズミやリスなどのげっ歯類、そして霊長類などが進化した。顆節類はおもに植物食性の哺乳類のグループで、これからウマ、サイ、シカ、ウシ、ゾウ、バクなど、ひずめをもつ動物(有蹄類)の大部分と、その仲間と考えられるイワダヌキ*1、カイギュウ*2さらにはクジラなどが進化した。
クジラはもともと陸地で生活していたのだが、何らかの理由で海に戻ったといわれている。前足だったものはひれに変化した。胎児のごく初期の段階では後ろ足も認められる。クジラの先祖ともみられる化石も出土していて、アンブロケタス・ナタンス(泳ぎ歩くクジラ)と命名されている。五〇〇〇万年前頃の生物で、体の前部にはアシカのようなひれがあり、後部には大きめの足がついていた。陸上ではアシカよりも上手に歩き、海中ではラッコのように機敏に泳いだであろう。体長三m、体重三〇〇kgぐらいというから、それほど大きくはない。海に戻りつつあったときの過渡的なクジラの姿と思われる。
海へ戻ってクジラは巨大化したが、陸生哺乳類で最大となったサイの仲間もいた。広さ一〇坪、一階が四本柱の吹き抜けになっている縦長総二階の一軒家に相当するサイズの生き物が、長めの首をつけてノシノシと歩くといったようなこの珍獣(インドリコテリウムという。本章の21参照)は、他の陸生の巨大哺乳類と共にやがては絶滅する。考えてみれば、クジラはうまい転身をしたものである。
*1 尾がほとんどないウサギ大の動物で、げっ歯類に似ているが、実はゾウに近い珍獣。タヌキとはまったく関係ない。アフリカ、アジア西南部に棲息する。
*2 昔、人魚に間違えられたことで知られるジュゴンはこの仲間だ。沖縄にもいる。同じカイギュウの仲間としてはマナティが知られている。
※イラストは豊橋市自然史博物館ホームページ(http://www.tcp-net.ad.jp/tzb/tmnh/index.html)の「展示紹介」より引用
8.最初のヒト・・・それはルーシー?
生物進化の長い歴史をたどった末、私たちの先祖も哺乳類にまで到達した。その哺乳類でもヒトにつながるのは霊長類である。まあ原始のサルだ。このサルは地上では弱者であったが、樹上に生活の場を転じ、それに適応することでそれ相応の地位を獲得した。
このサルはやがて、原猿類と真猿類に分化する。原猿類で現在でも生き残っているのはキツネザルやメガネザル、真猿類だとニホンザルやヒヒ、類人猿(チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザル)、それにヒトである。私たち人類は、だれが何といおうと動物分類学上は真猿類なのだ。ちなみに、人類は動物分類学上、「脊索動物門・哺乳綱・霊長目・真猿亜目・狭鼻猿下目・ヒト上科・ヒト科」と分類される。狭鼻猿下目にはアジアやアフリカに住むサル、ヒト上科には類人猿、そしてヒト科には人類が含まれる。これはまさに、ヒトが類人猿から分化し、その類人猿はサルから分化したことを意味する。
類人猿の祖先であるサルはアフリカにいた。この分派が、一五〇〇万〜一二〇〇万年前頃にアジアへ進出し、テナガザルとオランウータンの祖先になったとされる。ところが最近になって、3500万〜3800万年前頃に棲息していたとみられる類人猿の祖先の化石がタイで見つかった。これより古い化石も、アジアの他の地域やアフリカで発見されている。アジアでの出土数の多さから、類人猿はアフリカ起源ではなくアジア起源であるとする説も浮上している。今後の調査がまたれるところだ。
アフリカに残ったサルは、八〇〇万〜五〇〇万年前頃にゴリラ、チンパンジーそしてヒトを分化させた。ヒトがヒトたる由縁は、生物学的にいうと直立二足歩行だ。直立二足歩行はその生物が平地で暮らしていることの証しである。このことから、樹上から平原へと生活の場を移したサルの一派がヒトになったということができる。寒冷化などで熱帯雨林が縮小したため縄張り争いが起こり、それに敗れたものが平原へ追われたのか、それとも積極的に平原へ打って出たのか、それはいまだに謎だ。
最初に直立二足歩行をしたとされているのがアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人ともいう〈写真は足跡の化石〉)である。四〇〇万年前頃の化石がエチオピアで見つかっている。たまたま発掘現場近くのキャンプで流されていたビートルズの曲*にちなみ、彼女(彼?)はルーシーと命名された。
ルーシーは猿人である。猿人の次の進化段階は原人、次いで旧人、新人となる。私たち現代人は新人である。それも、生物の進化史上最新最悪の新参者だ。なにしろ二〇万年前に現われたにすぎず、そのくせ地球を汚しまくっている。
* ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズという曲
9.いや、最初のヒトはイブである!
一九八七年に、カリフォルニア大学の研究チームが「全人類の祖先は二〇万年前にアフリカに住んでいた女性である」というすっとんきょうな仮説を発表した。あらましはこうである。
バクテリアのような単細胞生物をのぞくと、すべての生き物の細胞には細胞呼吸の場であるミトコンドリアという器官がある(本章の14参照)。このミトコンドリアが独自でもつDNAは、母親からしか子供に伝わらない。このDNAの性質に注目して、世界中の異なる人種の女性一四七人のミトコンドリアDNAを調べたところ、それらはすべてアフリカ系女性のDNAをルーツにしていることがわかった。
また、DNAの進化の速度はほぼ一定であると仮定すると、現在のDNAの進化の程度からその進化がいつ頃始まったのかを推定できるので、それを試みたところ、サンプルDNAの進化はおよそ二〇万年前に始まったことがわかった。これらを総合すると、全人類の祖先は、二〇万年前頃にアフリカに住んでいた女性だということになる。この女性はミトコンドリア・イブと名づけられた。
DNAを使って調べるこのような時間測定法を分子時計法という。ヒトとチンパンジーが五〇〇万年前に分化したとかいっているのもこの方法による。ヒトとチンパンジーのミトコンドリアDNAの相違に目をつけ、その違いの程度から、その違いがいつ頃生じたのかを推定したのである。
さて、分子時計法から導かれたミトコンドリア・イブの仮説は、今から二〇万年前あたりにイブの血統が突然アフリカに現われたことを示唆する。こうなると、四〇〇万年前の化石によって人類の祖とされるルーシー(前項参照)もその立場を失うことになる。人類の祖はイブなのか、ルーシーなのか・・・。
じつは、これはどちらも正しいともいえるし、間違っているともいえるのである。
ミトコンドリア・イブのより正確な定義は、「世界各地(アフリカ・アジア・ヨーロッパ・ニュージーランド・太平洋)の女性のミトコンドリアDNAの違いは、20万年前に生存した一アフリカ女性(ミトコンドリア・イブ)のDNAを起点として分岐してきたものである」というものだ。つまり、現生人類(新人)のミトコンドリアDNAの第一世代というわけだ。突然変異か蓄積変異かなんかで、イヴは両親(旧人類)とは違う種のヒト(新人(現生人類))として誕生したとでもいえばいいのか(種の分化)。だから、人類というものを現生人類の枠内でとらえればミトコンドリア・イブは確かに人類の祖といえる。しかし人類というものを新人に限定せず、旧人も原人も猿人をも含めた生物学的なヒト科としてとらえれば人類の祖はルーシーということになる。
ここで、現在の有力な仮説にもとづき、ルーシーを起点としてヒト科の進化の歩みをたどってみると次のようになる。
ルーシーことアウストラロピテクス・アファレンシス(猿人)→アウストラロピテクス・ガルヒ(猿人)→ホモ・ハビリス(過渡期の原人)→ホモ・エレクトス(原人)→ホモ・ハイデルベルゲンシス(旧人)*1 →ホモ・サピエンス・サピエンス(新人)
ここで注意しておきたいのは猿人→原人→旧人→新人というのは、必ずしも猿人が原人に、原人が旧人に、旧人が新人に進化したと言い切れるものではないということである。なぜなら上の「→」に相当する部分は、いまだにミッシングリング(失われたつながり)のままであるということだ。つまり、そこには過渡的な特徴を示すヒトがいるはずなのだが、それに相当する化石はまだ見つかっていない。あるいは、見つかったと唱えられてはいても仮説の域を出ていない(第4章の11参照)。猿人、原人、旧人は確かにヒト科の生物とはいえるのかもしれないが、彼らが我々の直接の祖先であるとははっきり言い切れないのだ。
猿人*3は、原人と同じ時代をともにしつつ、一〇〇万年前頃を境に滅びていったらしい。
*1 1907年にドイツのハイデルベルク近郊のマウエル村から発見された下顎骨を基にした種。旧人といえばネアンデルタール人が有名だが、ネアンデルタール人は新人の直系祖先ではないというのが現在の定説となっている。
*2 ただし、新人の種としてはホモ・サピエンス・サピエンスの化石しか見つかっていない。
*3 猿人(アウストラロピテクス)の仲間には、ポイセイ、ロブストス、ブラックスカルなど、ヒト科からは分岐してしまった種族もある。
10.原人は猿人を食べて育った!
ピテカントロプス・エレクトスとかシナントロプス・ペキネンシスとかは、たぶん耳にしたことがあるだろう。前者はジャワ原人、後者は北京原人だ。
原人の動物分類学上の名称はホモ・エレクトスだが、猿人とも原人ともつかない過渡的なヒトにホモ・ハビリスというのがある。人類アフリカ発祥説の証しとなる多くの化石を発見したことで知られるルイス・リーキーが、一九六一年に南タンザニアのオルドバイ峡谷でその化石を発見した。ルイス・リーキーは、夫人とともに二八年にもわたって人類化石の発掘をつづけ、しかもその志は、息子のリチャード・リーキーによって受け継がれている。夫婦で、そして親子二代にわたって掘って掘って掘りまくる人生。一見、地味としかみえない化石発掘には、余人にはうかがいしれない魔力が潜んでいるらしい。
ホモ・ハビリスは、最初に道具を使ったとされるヒトである。その道具とは石器だ。最古の石器は二五〇万年前頃のものである。ホモ・ハビリスが狩をしたようには思えないから、彼らは肉食獣の食べ残しや動物の死骸を求めて平原へ出かけ、女・子供はその帰りを樹上の棲家で待っていたのであろう。持ち帰られた死肉は粗末な石器によって切り裂かれ、それをみなで分け合って食べた。このわかち合いの精神のうちに、人間性の萌芽をみることができる。仲間が死ねば、それも食べたのであろう。
一九七〇年、ルイス・リーキーはまたまた大発見をする。原人(ホモ・エレクトス)の化石を見つけたのだ。一七〇万年前頃のものだという。原人とは最初に火を使ったヒトである。実際に火を焚いた跡とみられる痕跡が、アフリカの各地で見つかっている。焼き肉文化が誕生したわけだ。猛獣を遠ざけるのにも役立った。火を起こすすべはずっとあとのネアンデルタール人の発明とされているから、おそらく火種は、野火や山火事などからもってきたのであろう。原人は猿人も焼いて食べたと思われる。火を焚いた跡に猿人の骨破片が見つかっている。
アフリカの原人たちの一部は、一五〇万年前頃、アフリカを出てアジアとヨーロッパに広がっていったと考えられている。一二〇万年前頃のジャワ原人、七五万年前頃の藍田人(中国)、三〇万年前頃の北京原人などの化石がそれを物語っている。ただ欧米の学界では、原人のヨーロッパ進出説はあまり人気がないようだ。原人の化石も、ヨーロッパでは見つかっていない。
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